山寺立石寺。本堂に残る 千年の舞の面影

歴史
根本中堂の前にあった「舞台」と「楽屋」

山形市山寺。
ここに、慈覚大師円仁が開山した「宝珠山立石寺」はある。
年間 70万人が訪れる山形県の代表的な観光地だ。
その多くの観光客が立ち寄り
踏みしめるであろう足元に、この山寺開山以来の
1200年の歴史があることを、人々は知らないまま行き交う。

そこは、登山口を上ってすぐの立石寺本堂「根本中堂」にある。
ここ山寺に訪れる人は皆必ず立ち寄るところだ。

根本中堂

この根本中堂正面には、一面に敷石が敷きつめられているのだが
正面に向かって左側階段脇に、ゴツゴツした長石の敷石がある。

長石の敷石①

長石の敷石②

この通路の敷石に、この山寺開山以来の 1200年の歴史がある。
平安初期の山寺立石寺開山の折り、難波(大阪)四天王寺より林越前政照という楽人が、
僧円仁に随従してきて四天王寺舞楽を伝えた。
その四天王寺舞楽が、この山寺開山以来
年々この根本中堂の前で舞われ奉納されていたのである。

○四天王寺     大阪市天王寺区にある。
聖徳太子の建立と言われ、四天王寺舞楽が伝わる。
その起源は、遠くシルクロードやインドと言われる。

奉納されていた舞楽は、この根本中堂の前にあった石造りの舞台の上で舞われていた。
その石舞台は、山寺に残る昔の絵図にその姿を見ることができる。

根本中堂の前にあった「舞台」と「楽屋」

文化年間の絵図 「根本中堂」説明文字の左わきに、石舞台の端が確認できる。 出典:週刊日本の海道 42 羽州街道 講談社刊 平成15年発行 25ページより引用

根本中堂脇の通路にある敷石は、この絵図にある舞台石であった。
この石の上で山寺開山から千年以上の間
難波(大阪)四天王寺より伝えられた舞楽が舞われ
根本中堂へ奉納されていたのである。

この四天王寺から伝えられた舞楽こそが、開山から一千有余年も絶えることなく
一子相伝、門外不出の秘曲として、今に受け継がれてきた
「林家舞楽」である。
千年以上も立石寺本堂で舞われてきた、この林家舞楽は
現在も、河北町の八幡宮で本殿に鎮座する神に向かって奉奏されている。

2016年は、9月18(日)14:45分から
谷地八幡宮の石舞台で奉奏される。
舞台は、明治初期の絵図までは確認できる。
その後の激しい時代の流れの中、明治四年の廃仏毀釈により
解体され現在の姿になってしまったと思われる。

 

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